Birth 3


 本棚に背中を預けて、エドワードはぼんやりと座り込んでいた。
 窓から差し込む光は柔らかな淡橙色に変わっていて、部屋の中もほんのりと淡橙色に染まっている。
 入り込んでくる風も心地好くて、やっと、柔らかな季節が訪れたと感じられるようになった、そんな柔らかな空気の中。しかし、エドワードは憂鬱な気分だった。
 もう何度目になるのかも判らない、これはすでに癖だと言ってもいいのじゃないかと思えるほどの溜息を零しながら、項垂れる。
 うんざりするほどリピートされた言葉が、エドワードを苛んで仕方がない。
「なんでだよ……」
 思わず零れた疑問。答える声はないと判っていても、問わずにはいられない。
 どうして。
 なにを考えて、毎回、毎回。
 聞きたくない。言うなと懇願を込めて言っても、それは聞き入れられない。
 エドワードが拒絶の言葉を口にするたび、「好きだ」と告げる男の声が、表情が、変化を遂げてゆく。見ているこちらが切なくなるような、それでいて、とても優しいものへと。
 その度に居た堪れない気分を味わい、胸が締め付けられるような感覚を覚える。
「好きだ」と最初に言われたときは、からかわれているのだと思っていた。……今もまだ、少しそう思っている。
 エドワードの反応を見て、悪趣味にも楽しんでいるのだ。きっと誰か―ハボック少尉かブレダ少尉あたり―と賭けでもして遊んでいるのだと、そう思っていたから、軽く受け流してきた。
 けれど、ある日、見たこともないような真剣な眼差しで「好きだ」と告げられて、冗談でもからかいでもなんでもなく、本気だと判って、……怖くて震えた。
 ロイに告げられた言葉が怖かったのか、真剣な思いが怖かったのか。いったいなにが怖かったのか、いまだにエドワードには判らないけれど、とにかく怖くて、恐慌状態に陥りそうになるほど、怖くて仕方がなかった。
 正直、本気でその場から逃げ出してしまおうかと考えたくらいだった。
 本気なのだと判ると同時に、軽く受け流すこともできなくなって、思いを告げられるたびに拒絶を繰り返すようになった。
 それでも、ロイ・マスタングという男は、エドワードに「好きだ」と言い続ける。
 受け入れさせ、同等の思いを返させるつもりはなく、ただ知っていて欲しい、信じてほしいと、真摯な眼差しで繰りかえし、そう言う。
「なんで、オレなんだよ」
 女たらし。
 ロイに関する噂の中で、誰もが必ず一度は口にする言葉だ。
 実際に何度かデートシーンを見ているから、エドワードもそうなのだと認識していた。たとえ、ロイがどれだけ「誤解だ」と叫んだとしても、デートをしていた事実は事実だ。
 そんな名誉だか不名誉だか判らない紙一重の評判を戴きながらも、出世頭第一位の国軍大佐が、なにを勘違いしたのか、男の、それも未成年者であるエドワードに思いを寄せるなど、普通、思わないではないか。
 相手なら、選り取りみどり。
 エドワードじゃなくていいはずなのだ。エドワードを望む必要もないほど、ロイの周囲には華やかな女性が集っている。
 それなのに、どうして。
 真剣に「好きだ」と告げる真意はなんだ?
 エドワードを隣に据えたとして、ロイ・マスタングという人間にとって、いったいどんなメリットがあるのだろう?
 本気だと知ってなお、拭いきれないエドワードの中の疑念は、無意識にロイの真意を量ろうとする。
 野心を持つ男にとっては、禁忌を犯した子供は、利用価値の高い手駒なのだろうか。
 だから懐柔しようとしているのか?
 純粋に向けられる好意に対してまで、つい穿った考え方をしてしまうせいか、常々、弟から「兄さんの捻くれ者」と称される。
 自慢にはならないが、素直じゃないのは昔からだ。
 だが、どれだけ疑ってかかろうとも、男の言葉からも、態度からも、エドワードに対する純粋な好意しか見出せなくて……。
 立てた右膝に顔を埋めるようにして伏せ、体を丸めてしまうと、まるで自分の殻に閉じこもるような仕草に思えて、エドワードは心の中で自嘲した。
 これは逃避になるのだろうか?
 ぎゅっと目を閉じて、瞼の裏に思い描いた男に向かって、エドワードは言った。
「……もう、なにも言わないでくれよ……」
 愛しさを隠しもしない眼差しを向けて、「好きだ」と言われるたびに。飽くことなく繰りかえされる告白に、エドワードの心はだんだん苦しくなる。
 信じたいと思う。好意を寄せられて悪い気はしない。けれど、どうしても信じられない。受け入れられない。
 心を。エドワード自身まで、掻き乱して翻弄しないで欲しい。
 いまは、まだ、たったひとつの願い以外のことに心を傾けられない。傾けたくない。
 唯一だと言い切るほど大事な人は、アルフォンスだけでいい。
 エドワードのすべてを犠牲にしてもいいと言えるのは、アルフォンスひとりだけでいい。
 愚かな兄を持ったせいで肉体を失った弟に、すべてを返す。そのときが来るまでは、なにもいらない。誰もいらない。心を許すことも、預けることもしない。あの弟以外には。
 だから、何も言わないで欲しいと懇願するのだ。
 そうでないと固く決めた決意が、緩んでしまいそうになる。
 エドワードよりずっと辛い思いをしている弟を、置き去りにする形で、エドワードだけの心の支えになるのかもしれない人へと、流されてしまいそうになる。
 そんなこと、エドワード自身が許せない。
 自分ひとりだけ、心ごと安定できる人の傍になど……。
 だから「好きだ」と告げるのは、都合の良い手駒を手中に収めるためなのだと。その手段に過ぎないと、ただその為だけの言葉なのだと、そう言ってほしい。
 それはエドワードが楽になるためだけの、狡い言い分。
 ロイから向けられる好意を、踏み躙っているだけの、利己的な
……。

 自分の中に生まれつつあるもの。
 言い聞かせなくてはならないほど、大きく育ったもの。
 嫌悪感を抱かなかった、その理由。
 それらが指し示すたったひとつの感情に、エドワードは、まだ、気づいていなかった。