Birth 4


「なにを証拠に差し出せばいい?」
 突然言われたそれに、幼さを失いつつある顔が怪訝そうに歪んだ。
 訝しくロイを見返すエドワードに、繰り返し問いかける。
「なにを差し出せば、キミは、私がキミを本気で想っていると信じてくれるのかな、鋼の?」
「別になにもいらねぇよ。つーか、いい加減にしてくれよ、大佐」
「なにが?」
「いい加減聞き飽きたと思うし、オレも言い飽きたんだけど……」
「……「好きだなんて言うな」か?」
 エドワードが言おうとしている言葉を先んじて言い、ロイは困ったようにエドワードを見返した。
 ロイの視線を向けられた少年は、素っ気なくもつれない態度でロイから視線を逸らしてしまう。
 本に視線を戻し、
「判っているなら言うなよ」
 と、突き放すように言い放ち、それきり黙りこんだ。
 灯りを点けていても、エドワードが私物化していると言っても差し支えない資料室内は、薄暗い。
 本に視線を落としたエドワードの横顔は、伸びた前髪に隠れてしまっている。
 会話を再開する糸口を掴めないまま、ロイもそれきり黙りこんだ。
 数ヶ月ぶりに会ったというのに、エドワードは文献に夢中でロイのことなど気にもかけない。
 いつものこととはいえ、気分が沈む。
 エドワードを好きだと言う人間を意識するよりも、やはり、弟を元に戻すことのほうが大事なのだと、思い知らされる。
 最初の頃は、冗談に紛らわせて嫉妬を仄めかしたりしていたけれど、エドワードの関心を引くことはできなかった。
 今も、同じだろう。
 エドワードの中で、ロイの存在は、ずいぶんと下のほうにランク付けされているに違いない。
 ロイは小さな溜息をつくと、凭れていた窓枠から体を離した。
 鍵を開けて、窓を開け放つ。
 室内の、紙とインクの匂いを拡散するように、微風が、ゆっくりと入り込んできた。
 空気の流れに気づいたのか、エドワードがちらりと視線を上げた。
 かすかに顰められた眉に気づかぬフリで、ロイは開いた窓から外を眺める。
「大佐」
 咎めるような呼びかけを無視して、ロイは言った。
「今日の風は気持ちが良いな」
「天気が良いからだろ。……少し冷たくなってきてるぜ」
「もう秋だな」
「そうだな。……窓、閉めろよ。紙が飛んでしまうし、本も読みづらい」
 微風に煽られて、紙の端が捲れ上がり、傍らに置いた本のページもぱらぱらと捲れ上がっている。
 それをちらりと一瞥しただけで、ロイはそのまま外を眺め続けた。
「大佐!」
 強く咎め立てる声が届くが、やはり無視する。
 自分でも子供っぽいと思うが、ロイのことなどそっちのけで本に集中していたエドワードに対する、ちょっとした意趣返しだ。
「おい、無視するなよ、大佐」
 言いながらエドワードが立ち上がる気配。
 そして、ロイとの距離を詰めるように、近づいてくる。
「大佐」
 呼ばれると同時に腕を引かれて、エドワードが強引にロイの視界に入り込んできた。
 太陽の光に輝く髪に、ロイは目を細める。
 それをどう解釈したものか、エドワードが少しだけ怯んだ様子を見せた。
 ロイが気分を害したとでも思ったのかもしれない。
「強引だね、鋼の」
 ロイは静かな口調で言った。
 わざとエドワードの誤解を煽る言い方をするところが、ロイ自身、自分でも本当に大人げのないと、苦笑してしまう。その反面、素っ気ない態度を取れば、いったいエドワードはどんな反応を返すのだろうか、と、悪趣味な興味が湧いた。
「だって、大佐が無視をするから……」
「私がいては邪魔かな?」
「邪魔……じゃないけど……」
「気を使わなくてもいい、鋼の。私がここにいては、ゆっくりと文献を読めないから邪魔だろう? 私が声をかけたりするから、キミは集中できないでいるようだし、そろそろ退場するとしようか」
 言いながらそっとエドワードの腕を離させて、ロイは部屋を出るために歩き出そうとした。
「……なんか、大佐、変だ……って言うか、意地悪だ」
 ロイを引き止めるように、エドワードの手がロイの腕を掴んだ。
「心外だな。私は意地悪なつもりはないんだが。私がいてはキミの邪魔になるだろうからと思って、出て行こうとしているだけだよ?」
「オレ、邪魔じゃないって言ったけど?」
 不機嫌そうに眉根を寄せて、エドワードがそう言った。
「そうだったかい?」
 そんな言葉を聞いた覚えがないように首を傾げて、ロイは惚けてみせた。
 ロイがそう言ったとたん、エドワードの顔が泣き出す寸前のように、歪んだ。
 エドワードを突き放すロイの態度に、戸惑いを隠しきれないようで、金色の瞳が僅かに潤みを持った。
 意外な反応だった。
 いつものように顔を顰めて、怒って噛み付いてくるのかと思っていたのだが。
 エドワードの様子を窺うと、左手が握り締められている。
 微かな肩の震えにも気づいて、ロイは「卑怯者」と、内心、苦笑混じりに嘆息した。
 無意識の仕草ほど、性質の悪いものはない。
 ロイは子供っぽい態度を取ったことを、後悔した。
 少し戸惑わせたかっただけで、悲しいと感じさせるつもりはなかったのだ。
 エドワードの真意を量ることはできないが、素直ではない子供の、言葉にはしない気持ちの表れなのだろう。ロイを引き止める手と、遠まわしな言い方は。
 こんなときに、まだなにもかもが未成熟な子供だと思い出す。
 心の機微の駆け引きなど、知らない子供だ。真っ正直に相手の言葉と態度を、受け止めてしまう。
 それなりに心をくれていたはずの人間の、突然の裏切りにも似た行為や言葉に、こんなにも簡単に傷つく。
 傷ついて、咄嗟にそれを取り繕うこともできず、全部を曝け出してしまう。
「鋼の」
 呼ぶと、エドワードが頼りない表情でロイを見返した。
 ロイの前では決して見せなかった顔だった。
 いつもロイの前では、弱気を隠して見せ、勝気に振舞い、狡猾に大人ぶっていた子供とは思えないほど、弱々しい仕草。
 錯覚をしてしまいそうになるな、と、ロイは苦く思う。
 エドワードへの想いが、報われるのではないかと。ロイに心を預けてくれるんじゃないか、心を許してくれるんじゃないか、そんな期待を抱いてしまいそうになるほど、エドワードは無防備すぎた。
 思わず手を伸ばして、抱きしめたくなる衝動を、ロイは必死で押さえ込んだ。
「……その、すまないね」
「え…?」
「ちょっと、からかいが過ぎたな。すまない」
 素直にロイは頭を下げた。
「え……、大佐?」
 困惑した声がロイを呼び、ロイの腕を掴む機械鎧の感触が弱まる。
「なに、…………なんだ、よ」
 弱々しい声が聞こえて、ロイは顔を上げた。
 泣き出しそうな表情のまま、エドワードが唇を噛み締めていた。