Birth 6


 なにを、言っているんだろう?
 エドワードはロイの漆黒の瞳を見つめ返しながら、思った。
 どうして。
 エドワードには、判らない。
ロイの言葉は信用できない。信用したくない。エドワードははっきりとそう言った。掴まれた手を離せと言っても即座に断られ、挙句に、ロイはエドワードの声など聞こえていないように、今までと同じ言葉を繰り返し、エドワードを好きだと言う。
 もう、信用しないと言ったのに、ロイは、これからも言い続けると言う。
 どうして、諦めてくれないのだろう。
 どうして、愛想を尽かしてくれない。
 酷いことを言っているのに。
 きっと、とても、傷つけているのに。
 まるでエドワードが離れてしまうことを恐れるように、ロイの手はしっかりとエドワードの手を掴んでいる。
 ロイに言われるまでもなく、エドワードにだって判っている。
 いつの間にか、エドワードの世界にはアルフォンス以外の人間が存在している。
 ロイが指摘するように、アルフォンスだけがいれば良いと思っているわけじゃない。……今は、もう、そんな風に思っていない。思えない。
 ただ、アルフォンスから奪ってしまったものを、一秒でも早く返したい。それだけは譲れないから。
 エドワードの中で、アルフォンスのこととロイを信じきれないことは完全に別問題なのだけれど、どうも、目の前の男にとってはそうではないらしい。
 エドワードにはロイの気持ちが判らない。
 会うたびにエドワードを好きだと言うくせに、エドワードを試すようなことを言ったり、からかったり、困らせるようなことを平気で口にする。
 さっきだって、エドワードとの駆け引きを楽しむような態度を取っていた。
 優しかったり、素っ気なかったり。
 出会った女の人のことを話題に出して、その人のことを褒めたり、デートを申し込んだだの、申し込まれただのと、平然とそんなことを言ったりもする。
 そんなことをされたりいわれたりするたびに、エドワードがどんな気持ちになるのかなど、全然考えてくれない。
 どんな反応を返せば、ロイに呆れられないだろう、飽きられないだろうと……。
 そこまで考えて、エドワードは思わず息を詰めた。
 愕然と、自分の思考を反芻する。
 なにを、考えた?
 いま、自分はなにを考えただろう?
 ロイに、呆れられないように? 飽きられないように?
「違う……そんな、はず……ないっ!」
 低く呻いて、否定の言葉を吐き出した。
 そうだ、違う。そんなはずがないのだ。
 だって、エドワードは何度も「応えられない」と言ってきた。それなのに?
「鋼の?」
 訝しげに呼ばれて、エドワードはロイの存在を思い出す。
 強張った顔でロイを見返すエドワードの目に、心配そうな表情を浮べた男の顔が映った。
 泣きたくなった。
 いつの間に?
 いつから?
 いや、そうじゃない。違う。違うのだ。そうであってはならない。
 エドワードは怖くて、否定を繰り返す。
 心の中。言葉で、なんども、なんどもくりかえす。
 くりかえし、自分自身に言い聞かせる。
「嘘だ……、違う、絶対に違う!!」
「どうした、鋼の? 落ち着きなさい――なにが違うんだ?」
 エドワードの突然の様子に、ロイは驚いたようだった。
 それなのに、空いた手で、宥めるようにエドワードの髪を撫でてくれる。
 優しい手つきだった。
 温かな手だった。
 思い知る。きっと、どんなに否定しても事実は変わらない。変わることがない。
 信じられないんじゃない。
 信じたくないんじゃない。
 認めたくないだけ。受け入れたくないだけ。
 ロイの言葉に頷いてしまいそうな自分がいるから。安らぎに身を委ねてしまいそうな自分がいるから。
「…………きじゃない」
 だから、否定する。
 自分の中に生まれていた感情もろとも、ロイの想いも、言葉も。
「鋼の、なにを言っているのか聞こえない。もう一度、言ってくれるか?」
 少しだけうろたえた様子で顔を覗き込もうとするロイの視線から逃れるように、エドワードは顔を逸らす。
 逸らしながら、胸を痛ませ、心を引き裂くだけの言葉を紡いだ。
 くりかえすことは、嫌だった。
 本当は、とても嫌だったけれど、認めてしまうことはできなかった。
 認めてしまったらアルフォンスはどうなってしまうのだろう?
 エドワードが全部を奪ったのに。弟の全部を奪っておきながら、ひとり、安寧を手に入れるつもりなのだろうか、自分は。
 弟だけを、罪の世界に置き去りにして?
 そんなことはできないと思った。
 大事だった。
 とても、大事だった。
 エドワードの何かを犠牲にしてもいいと思えるくらい、大事な、たったひとりの弟だ。
 口にして言えば、あの優しい弟は悲しんで、怒るだろう。
 でも、本気でそう思っている。
 エドワードに差し出すことのできるなにか――すべてを犠牲にしてもかまわないほど、大事な肉親。
 心も、体も、魂も。なにもかも全部、アルフォンスのためだけに存在しているのだったら、こんなに苦しくなかっただろうと、エドワードは思った。
「……オレは、大佐のことなんて好きじゃない」
 どうして、たったひとりの人のためだけに存在できないのだろう。
 自分のもののはずなのに、どうして心は、エドワードの意思を裏切るかのように、感情を生み出すのだろう。